1914(大正3)年、第一次世界大戦によってヨーロッパの工場は軍需生産への転向を余儀なくされます。生活用品の供給は滞り、不足分の注文が日本に集中します。このとき燕には、輸入商を通してスプーンとフォークの大量注文が舞いこみます。ちょうど銅器が不振で洋食器への転換を考えていた燕は、これまで培ってきた技術を生かし、難しい注文にも見事にこたえました。こうして燕の金属洋食器生産がはじまりました。今では、金属洋食器国内生産の約90%以上のシェアを誇っており石を投げれば社長にあたるまで言われており、町工場が無数にあります。すべての作業工程を一貫して製造しているところは少なく、燕市が一つの工場の様になっております。今ではモノ作りを国内だけでなく、職人の技術を世界へ進出を目指しております。